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食材や調理の仕方、歴史についてなどなど、フランス料理を日々勉強しています★by penelope★


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フランス料理の帝王~歴史編~

「フランス料理の帝王」アントワーヌ・カレーム(Antoine Carême)・・・の絵のつもり。

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「アントナン(Antonin)」と名乗ることを好んだという彼は、ときどき「アントナン・カレーム」と

表記されることもあります。

フランス料理史の中で「フランス料理の帝王」とか「料理界のナポレオン」と称されるカレームは、

ナポレオンと同じ、フランス革命後の激動の時代を生きた料理人。

上級社会の中で、料理はおなかを満たすものだけでなく、富や権力の象徴とされる一面もありました。

政治や身分が大きく変革していく中で、権力者を相手に数々の豪華な

料理を披露したカレーム。その手腕はときの皇帝ナポレオンと、外相タレーランの目にとまります。

タレーランがヴァランセ城を購入すると、タレーランはカレームをそこに呼び寄せ、

招かれた有力者たちに振舞う料理を作る「お抱え料理人」となります。


料理を外交の手段に、と言うと冷たく聞こえますが、カレームにとってそれは用意された舞台でした。

カレームの少年時代はとても貧しく苦しいものでした。

25人兄弟という大家族に生まれたタレーランは、貧困からわずか10歳で父親に捨てられてしまいます。

街をさ迷ったあげく小さな飲食店の扉を叩き、住み込みで料理の仕事をするようになったカレームは、

着々と努力を重ね、17歳で有名菓子店に弟子入りします。

パティシエとして新しいスタートを切った彼は才能を開花させ、その後料理の仕事にも

菓子作りで学んだ手法を取り入れ、装飾的な料理を作るようになります。

彼の作った華美で豪勢な料理は、権力者たちに多いに好まれるものでした。


タレーランはカレームに厳しい課題を突きつけます。

メニューは重複のないこと。旬の食材を取り入れること。一年を通したメニューを作成すること。

しかし、こうした難題がかえって彼の独創性を引き出し、料理の芸術性を高めることになりました。

自分の思うとおりに作るのではなく、常に評価されるという立場に身をおくことで、

さらに自身を高めていったのです。


カレームの料理がもっともその手腕を発揮したのは、「ナポレオン戦争」が終結した後、

ヨーロッパ諸国の首脳たちが集結した「ウィーン会議」だと言われています。

各国の利害が衝突して、会議は右往左往。ヨーロッパの秩序について話し合うという

会議はなかなか進みませんでした。

敗戦国となったフランスは厳しい立場におかれていましたが、会議の期間中、タレーランは

たびたび食事会を開き、有力者たちを招きました。

そこで振舞われたカレームの豪華な料理は有力者たちの間で評判を呼び、その評価はタレーラン

の立場を好転させます。

そして、タレーランはウィーン会議においても徐々に立場を有利に運んでいったと言われています。

また、その料理は料理人、カレームを一躍有名シェフに押し上げました。


カレームはその後はイギリスの皇太子、ウィーンの皇帝など名だたる権力者に仕えました。

そして彼の数々の努力は、その後「近代フランス料理の父」、オーギュスト・エスコフィエに

受け継がれていきます。

(・・・つづく)
by lovely-recipe | 2010-01-22 22:16 | フランス料理歴史あれこれ