食材や調理の仕方、歴史についてなどなど、フランス料理を日々勉強しています★by penelope★


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カテゴリ:フランス料理歴史あれこれ( 4 )

トリコロールのトリビア

久しぶりに歴史ネタです。

フランスの国旗といばトリコロール。

トリコロール(Tricolore)は「3つの色」の意味で、ご存知、赤、白、青。

しかし、この順番というと・・・白が真ん中なのは分かるけど、赤、青、どっちが右?左?・・・

と頭をひねる人も多いはず。

さぁ、あなたは分かるでしょうか・・・。

      ↓正解は・・・・







右から順に赤、白、青でした!

しかし!これはなんと「現在の」順番。正確にいうと、1794年から現在の順番です。

フランスのトリコロールは、かつて(右から順に)青、白、赤の順でした。

現在と逆!だったのです。


トリコロールにも歴史があるのでございます・・・



それまで「王様が一番偉い!」という絶対王制を敷いていたフランスでは、国のもの=王家のもの

という考えだったため、そもそも「国旗」というものがなく、王家(ブルボン王家)の旗がフランスの旗

として扱われていました。

ブルボン王家の旗は槍の先を描いた、シンプルでありながらなかなかおしゃれな旗だったようです。


そこにフランス革命が起きて、パリの市民たちに王家が倒されると、赤と青の2色並びだったパリ市

の旗の真ん中に、王家を象徴する白を挟んだトリコロールの旗が考案されます。

これまで一番だった王様が、市民に挟まれて平等にならぶことになったわけです。


革命後はまだ国中が落ち着いていなかったせいもあり、3色の順番がそのときどきに

よって変わったりしていて旗もなかなか決まらない。しかし、一旦国の政治が落ち着くと、

右から順に青、白、赤!と国旗が定められました。

しかし!!その後、この順番だと見えにくいという意見があり、

順番が逆になったのだそうです。


フランスといえばトリコロール。世界中の国旗の中でも、とりわけ可愛くて愛されている

ように思います。雑貨や布など、トリコロールのプリントやデザインが入っているととっても

可愛いです。

しかし!

可愛いだけじゃない。革命の歴史やら、見やすさやら、いろいろ経て現在に至る

トリコロールなのでした。


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by lovely-recipe | 2010-01-28 20:38 | フランス料理歴史あれこれ
「フランス料理の帝王」アントワーヌ・カレーム(Antoine Carême)・・・の絵のつもり。

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「アントナン(Antonin)」と名乗ることを好んだという彼は、ときどき「アントナン・カレーム」と

表記されることもあります。

フランス料理史の中で「フランス料理の帝王」とか「料理界のナポレオン」と称されるカレームは、

ナポレオンと同じ、フランス革命後の激動の時代を生きた料理人。

上級社会の中で、料理はおなかを満たすものだけでなく、富や権力の象徴とされる一面もありました。

政治や身分が大きく変革していく中で、権力者を相手に数々の豪華な

料理を披露したカレーム。その手腕はときの皇帝ナポレオンと、外相タレーランの目にとまります。

タレーランがヴァランセ城を購入すると、タレーランはカレームをそこに呼び寄せ、

招かれた有力者たちに振舞う料理を作る「お抱え料理人」となります。


料理を外交の手段に、と言うと冷たく聞こえますが、カレームにとってそれは用意された舞台でした。

カレームの少年時代はとても貧しく苦しいものでした。

25人兄弟という大家族に生まれたタレーランは、貧困からわずか10歳で父親に捨てられてしまいます。

街をさ迷ったあげく小さな飲食店の扉を叩き、住み込みで料理の仕事をするようになったカレームは、

着々と努力を重ね、17歳で有名菓子店に弟子入りします。

パティシエとして新しいスタートを切った彼は才能を開花させ、その後料理の仕事にも

菓子作りで学んだ手法を取り入れ、装飾的な料理を作るようになります。

彼の作った華美で豪勢な料理は、権力者たちに多いに好まれるものでした。


タレーランはカレームに厳しい課題を突きつけます。

メニューは重複のないこと。旬の食材を取り入れること。一年を通したメニューを作成すること。

しかし、こうした難題がかえって彼の独創性を引き出し、料理の芸術性を高めることになりました。

自分の思うとおりに作るのではなく、常に評価されるという立場に身をおくことで、

さらに自身を高めていったのです。


カレームの料理がもっともその手腕を発揮したのは、「ナポレオン戦争」が終結した後、

ヨーロッパ諸国の首脳たちが集結した「ウィーン会議」だと言われています。

各国の利害が衝突して、会議は右往左往。ヨーロッパの秩序について話し合うという

会議はなかなか進みませんでした。

敗戦国となったフランスは厳しい立場におかれていましたが、会議の期間中、タレーランは

たびたび食事会を開き、有力者たちを招きました。

そこで振舞われたカレームの豪華な料理は有力者たちの間で評判を呼び、その評価はタレーラン

の立場を好転させます。

そして、タレーランはウィーン会議においても徐々に立場を有利に運んでいったと言われています。

また、その料理は料理人、カレームを一躍有名シェフに押し上げました。


カレームはその後はイギリスの皇太子、ウィーンの皇帝など名だたる権力者に仕えました。

そして彼の数々の努力は、その後「近代フランス料理の父」、オーギュスト・エスコフィエに

受け継がれていきます。

(・・・つづく)
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by lovely-recipe | 2010-01-22 22:16 | フランス料理歴史あれこれ

ナポレオンと食文化

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昨日作った「鶏肉のマレンゴ風」はナポレオンお気に入りの鶏肉料理。

ナポレオンは地中海に浮かぶ小さな島「コルシカ島」の出身。

古くはローマ帝国、中世にはイタリアの支配下で独自の文化を築いてきた

この島は18世紀にフランス領となります。

日本語では「コルシカ島」と呼ばれていますが、これはイタリア語の発音に近いもので、

フランス語では「コルス」(Corse)、コルシカ語では「コルシガ」と発音されています。

ナポレオンと料理(食品)の逸話はいろいろあって、

台形のかたちをしたチーズ「ヴァランセ」も有名です。

エジプト遠征に破れ、外相のタレーランの城「ヴァランセ城」に立ち寄ったところ、

プラミッド型のチーズが出され、遠征の失敗を思い出したナポレオンは

憤慨して先っぽを切り落としてしまいました。

以来台形のかたちに「ヴァランセ」という名で親しまれています。

「ヴァランセ」は黒炭の粉に覆われたシェーブルチーズ。切ると中身は綺麗なアイボリー色をしています。

フランスのAOC製品として、「ヴァランセ城」のあるロワール川流域の特産品となっています。

ナポレオンはそれほど食に興味はなかったようですが、

この「ヴァランセ城」の城主、タレーランは、フランス料理界の草分け、アントナン・カレームと

深い関わりがあります。

そのお話はまた今度・・・。
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by lovely-recipe | 2010-01-11 23:39 | フランス料理歴史あれこれ

おフランスことはじめ

フランスってどこにあるんだろう。
と思って地図を書いてみると、


どーんと大陸をまたいで、ヨーロッパの端の方より、
ちょっと手前あたり。
(こうして見るとすごく遠く感じる・・)

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時差はだいたい8時間くらいで、
日本の時間から8時間引くと、フランスの時間になるらしい。

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近くにはドイツやイタリア、スペイン。
スイスにも近い。
海を渡ればアイルランドにも行ける。

フランスは海外に領地(フランス領)を持っているので、
住める土地の広さは、日本の約3倍ほど広いそうです。

しかし。
人口は・・・

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日本の約半分だそうです。
(日本がぎゅうぎゅうなのかな?)

そうそう。
政治のお話を調べてみると、
現大統領のサルコジさん(スーパーモデルと結婚した)は、
フランス料理を「世界遺産」にしようと、
奮闘中とのこと。

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世界初の食べる「世界遺産」、登録なるでしょうか・・。

(つづく)
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by lovely-recipe | 2009-12-19 14:56 | フランス料理歴史あれこれ